妹から学ぶ人生論
私の妹は一度死んだ。 「当たり前の日常は有限だ。」売れない邦楽の歌詞のような事実を思い知らされた。限りある日常で関わる人たちを大切にし、悔いなく想いを伝えて生きていきたい。
「明日彼氏にプレゼントするの。」彼女は口元を緩めながら、自称"傑作"のカップケーキを袋に詰めていた。2016年3月14日、ホワイトデーの出来事だ。数日後、突然頭痛を訴えはじめた。病院をはしごするも原因がわからない。やがて彼女は意識を失った。 ようやく判明した病名は「抗NMDA受容体脳炎」。 映画『8年越しの花嫁』でも取り上げられた難病だった。家族は病院に呼び出され 「目を覚まさないかもしれない、死亡する可能性すらある」と説明を受けた。白目を剥き、口を開けたまま点滴される妹を前にして、何もしてあげられない自分が悔しかった。お見舞いに行っては膝に涙を落とす日々。ただ、回復を祈ることしかできなかった。
約3ヶ月後、奇跡的に妹は目を覚ました。 驚異の回復を見せ、今では元気に暮らしている。このときの体験から、毎日何気ない瞬間で関わる人々を、その時にもてる最大限の力で大切にすることがいかに重要であるか、身に染みてわかった。誰しもいつ、何が起こるのか、想像もつかない。「大切な人を大切にできる時に大切にする」ことが、私の使命であり責任だと考えるようになった。
毎朝、目を覚ますと心に誓う。「今日も一日、自分が相手にできる最大限のことをしよう。」毎晩、布団に入ると振り返る。「今日も一 人ひとりを大切にできただろうか。」
[北海道地震]函館で過ごしたリアルな1.5日
ー 真夜中 ー
緊急地震速報です。(サイレン音)
緊急地震速報です。(サイレン音)
緊急地震速報です。(サイレン音)
「うるさっ💢」と思った時には激しく揺れ始めていた。
真夜中、眠っている時間に震度5弱の揺れ。
満杯の本棚が左右にぐらぐら揺れ、壁に掛けていた時計が床に落ちる。
寝ぼけたまま、母親が3歳児を抱き抱え、姉妹で部屋の中心に集まり、枕で頭を守り合う。
揺れが収まり、電気のスイッチを押すと着かない。
父親がライトも持たず一階にいる両親を心配して駆け下りる。
無事を確認。
平成30年9月6日夜中3時8分頃、函館の親戚家族の家で大きな地震が起きた。
一旦収まってもまた余震。
余震かと思えばただの感覚。
そんな状況を繰り返すうちに夜が明ける。
* * *
- 初日の朝 -
(外)8時過ぎ、停電は治っていない。
幼稚園生、中学生、高校生、専門学生の従姉妹は全員臨時休校。
市役所勤めの父親は仕事へ。
物資確保のため、車で近所のドラッグストアに向かう。
信号のライトがついておらず、いつも以上に細心の注意を払いながら道路を走る。
9時開店にも関わらず長蛇の列。
そして9時になってもお店は開かない。
店頭で、常温保存が出来る物だけ販売される。
(この写真は、震災から2日目のお昼のもの。)
日が照る中、待つこと2時間。
ようやく買い物をはじめる。
食料と必需品を買い揃え、自宅に帰る。
行きつけのガソリンスタンドが営業休止中と知る。
* * *
(家の中)損傷部分を確認。
祖父が散歩から帰って来る。
「10時から断水になるらしいぞ」
その情報を聞いたのは9時40分。
大慌てでお風呂に水を張り、全ての使える入れ物に水を汲む。
(結局うちの地域は結局断水しなかったが、断水した地域も多くあった。)
* * *
- 昼 -
一件目でガスボンベが売り切れていたため、最寄りの3店舗へ。
「ガソリンの無駄遣いが勿体無い」と、自転車で向かう。
全て売り切れ。
この頃、docomo、softbank、auそれぞれの携帯の電波も無くなる。
情報はラジオで得る。
昼食はカップラーメン。
* * *
- 夜 -
6時、家族で一つの食卓を囲む。
ガスコンロ節約のため、全員で食卓を囲み、レトルトカレーを食べる。
7時、暗くなる。
部屋の中心に懐中電灯を灯す。
電波が無い為携帯を見ることもなく、停電してる為テレビを見ることも無く、家族9人ひとつの部屋で顔を合わせて話す。
滅多に無い機会だからと、子どもたちでおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんの肩揉みをする。
* * *
- 就寝時 ー
長女が祖父母を思いやり、
「何かあったとき手助け出来るように」と、一階で床に着く。
普段反抗期の三女も、
「また夜中に地震が起きたら怖いから」と、姉達と同じ布団で寝る。
不謹慎ながら、この夜ガッツリ家族でコミニュケーションを取れたことだけは良かった。
「もう地震来ないように祈るしか無いよね」
「明日には電気回復するといいね」
など、励まし合いながら眠りに着く。
* * *
- 2日目の朝 -
未だ停電したまま。
シャワーは冷水のみ。
流石に冷蔵庫から異臭がして来る。
未だ信号もついていない。
ガソリンスタンドも復活の目処が無い。
相変わらず学校は休み。
* * *
- 昼 -
避難指定場所の小学校に、携帯を持って自転車で向かう。
充電が可能か聞くと、避難している方のみしか充電できないと断られる。
同時に、近くの清掃工場でコンセントを無料開放していると聞く。
清掃工場に向かう。
用意して頂いた、全ての机に人が埋まっていた。
久々に電気のある生活に触れる。
プロジェクターでニュースを見る。
震源地の被災の状況を目の当たりにする。
みんなが同時にコンセントを使う為、充電がなかなかたまらない。
自宅に戻る。
* * *
- 午後4時 -
「パチン」
「え!」
電気が着く。
「やったー!電気ついたね、やったー!」
3歳児が踊りはじめる。
不意に停電生活が終わる。
* * *
- 感想 -
夜中の地震は暗いし意識も正常じゃないし、めちゃくちゃ怖かった。
1日半停電しているのに電気が無い生活には慣れず、トイレに行くとき、部屋に入るとき、癖で無意識に電気のスイッチを押してしまう。
携帯、テレビ、ガソリン、温水、冷蔵庫、洗濯機が使えず、お店や銀行も空いておらず、信号や街頭の無い生活はこんなに不便だとは、体感してみないとわからなかったし、
電波が無いときは視覚で情報を得ることもできず、遠隔の家族、友人とも連絡が取れず、心細かった。
いつ日常だった生活が戻るのかわからないことががとても不安だったので、回復して安心したと共に、
ありきたりな言葉すぎるが、当たり前に電気や電波を支えていることに、改めて感謝が芽生えた。
正直まだ余震の可能性がある事も気が気じゃない。
しかしまずは、道内のまだ復興していない地域へ、できる事をし尽くす。
* * *
- まとめ -
今回一番有り難かったのは、東日本大震災を経験した方の、非常時にするべきことのツイート。
この情報が地震後すぐ、電波が途絶える前に拡散されて来たお陰で、次の日の具体的行動がわかって良かった。
今までニュースで被災地を見て、
「大丈夫かな」と心配をしても、
「わたしが心配をしたところで直接的な解決には繋がらない」
と不甲斐なく思っていたが、
今回、友人がメッセージをくれたことは大変嬉しく、元気が出た。😂
精神的アプローチも充分すぎる支援だと感じた。
電波が一時途絶え回復した後は、クラウドファンディング等、遠隔にいる方の動きも目に見えて感激した。
* * *
いつ、どこで、何が起きるか予測できない、
誰が当事者になるかわからない、
異常なほど災害続きな平成30年の日本。
自分の経験が、この記事に触れた方の人生の中の、いつかどこかで役立てばいいなと思い、新鮮なうちに文字に収める。
この記事が必要な人に、必要なだけ届きますように。
そして全ての被災された方が、一日も早く不自由の無い生活に戻れますように。
オーディションの話 ⑤
合格発表から3日後、最終選考を受けてきました。
会場に着くと
振り返りシートを渡されて
・成功した点
・今後に活かしたい点
を、記入しました。
書き終わり、少し待って
名前を呼ばれました。
*・*・*
「ここが人生の岐路だな。」
と、ばくばく緊張しているわたしとは裏腹に
プロデューサーの方は、フランクに質問をしてくれました。
「どんな曲が好きなの?」
「今、歌詞を書くとしたらどんな歌詞を書きたい?」
というものから、
「趣味はなに?」
「恋してる?」
「福岡で何食べた?」
「沖縄でおすすめの場所なに?」
という話まで。
他にも、プロデューサーさんの元カノが阿部真央の友達だということ、
福岡で外さない、食べて欲しいおすすめの料理屋さん、
プロデューサーさんが今ハマってるお洒落なメガネ拭きの話など
幅広く色んな話をしました。
*・*・*
お陰様で、いつもの自分が出せました。
でも、いつもの自分すぎてちょっと不安。
もっと信念とか熱い想いとか、
深い部分にに沢山あったはずなのに
フランクに楽しく話せすぎて
全部出し切れなかった。
でも、今回素に出てきた言葉が、等身大の自分の想いだとも思います。
オーディションのすべてはこんな感じ。
*・*・*
ここで、今回のオーディションを受けたことで
気づいたことを紹介します。
ひとつめは、
「夢を口に出すことは楽しい!」
いうこと。
私は今まで、
「歌うことは好きだけどそんなに上手くないし、、」
「歌手になりたいとか言えないおこがましい、、」
と、思って黙っていました。
でも、思い切って想いを口外することで、
応援してくれる人も
協力してくれる人も現れた。
それに、
「オーディションに挑戦する!」
という言葉きっかけで、繋がれた人もたくさんいます。
だから、これからも思ったことはどんどん表現していきたいなと思いました。☺️
ふたつめは、
「やっぱり歌うことが好きだ」
という気持ち。
曲を聞いて、
歌詞のストーリーを考えて、
その感情が表現できる歌い方を意識して、
歌って、
録音して、
訂正して、
人に聞いてもらって、
ベストだ!と思ったものを何日か置いてみて、
また更新して、
、、、
という作業がめちゃくちゃ楽しかった!!!
生き生きわくわく、夢中になって
いつまでもやってられると思うくらい
楽しい時間でした。
これからもこの気持ちを大切にしたい。💐
今回のプロジェクトに受かっても落ちても音楽を極めようと思いました。
*・*・*
いよいよ今日は合格発表。
緊張の朝、いてもたってもいられなくなって書いた5つの記事でした。☀️
つづく◎
オーディションの話 ④
試験会場を出た途端
放心状態になりました。
やっと終わった安堵と、
緊張からの解放と、
あっけなく終わった儚さと、、
色んな感情が込み上げてきました。
それらを充分に味わいつつ
気心知れる人たちに電話で報告をしました。
気づいたら涙がでてた。
そのくらい、本気でした。
*・*・*
そして次の日。
「今日結果わかるって聞いたけど何時に発表なんだろう、、」
と、朝からソワソワしながらLINEを待っていました。
すると、12:38に結果が届きました。
一旦携帯を置いて
既読をつけずに
深呼吸。
ゆっくり既読をつけました。
結果は、、、、、
、、、、、
一次審査通過!!!!!
嬉しすぎて、声にならず、携帯を投げました。(軽く割れた😅)
とっっっても嬉しくて、
応援と協力をしてくれてた人全員に、お礼の連絡をしました。
それぞれ自分のことがある中、どの曲が良いか一緒に選んでくれた人、
関わってくれた人、
応援してくれた人への気持ちが止まりませんでした。
本当にほんとにありがとう。🌸✨
*・*・*
次は最終審査の話。
つづく◎
オーディションの話 ③
本題の本題。
会場に入ると、
プロデューサーが3人座っていました。
「ああ、始まった。」
と思った途端に緊張感MAX。
「荷物多いね〜(この時、バックパックとトートバッグを持っていた。)」
「沖縄から来たんですよ〜」
なんて話したけど、ほとんど覚えてない。
心臓が口から飛び出そうってこういう時に使うんだなぁと、思いました。😂
*・*・*
「それでは、1分間の自己PRをお願いします」
という言葉をきっかけに、審査が始まりました。
この日の私の目標は、
・最大限の想いを伝えること
・等身大でいること
・やりきること
でした。
ここで、この3点を踏まえて
「人生は一度きりです。
私は一瞬一瞬を大切にすることを心がけて生きています。
なので今日は練習の成果を充分に発揮し、後悔がないように、
精一杯、等身大で、想いを込めて歌います。
よろしくお願いします。」
的なことを言いました。
自己PRになったのかどうかはわからないけど、
自分の在り方を思いっきり伝えることができました。
*・*・*
ほっとしたのも束の間、
「はい。それでは、歌唱審査にうつります。お好きなタイミングでどうぞ」
と、言われました。
大きく深呼吸をして
体中に空気を行き渡らせて
歌いはじめました。
今まで何回も何回も練習してきたこの曲。
ミュージカルスタジオに行き、ブロードウェイ経験者の方にアドバイスをもらったり
ピアノの先生にアドバイスをもらったり、
路上ライブをしてる方にアドバイスをもらって、その場で歌わせてもらったり、
アカペラ時代の仲間に聞いてもらったり、
大好きな先輩に聞いてもらったり、
大好きな友達に聞いてもらったり、
家族に聞いてもらったもの。
もう、ほんとに何があっても心残りがないように
想いを込めて、丁寧に歌いました。
かけた時間とは裏腹に、あっという間の時間でした。
足は生まれたての子鹿みたいにブルブルブルブル震えてたけど
やりきることができた!!!✨
*・*・*
そして、最後に
「沖縄からの参加ですが通うことはできますか?」
など、他愛の無い質問をいくつかされて、
一次審査は終わりました。
続きは次の記事で。
つづく◎
オーディションの話 ②
本題。
オーディションは、
①エントリーシートの記入
→ ②自己PR
→ ③歌唱審査
→ ④質疑応答
というものでした。
*・*・*
受付で説明を受け、
席に着き、
受験番号5番の人にフレンドリーに挨拶をし、
軽く無視されました。
「は。なんなん愛想悪っ!」
と、思ったのも束の間
注意事項の書類に目を通すと
「厳正な審査のため、不必要な接触は控えて下さい。」
と、書かれていました。
「なるほど、ごめん。君は本気なんだね5番くん。」
と思い、私も静かに自分の世界に入りました。
*・*・*
①が終わり時間をもてあましていた私は、
アカペラをしていた時代に、先輩に教えてもらった腹式呼吸のウォーミングアップをしながら待ち時間を過ごしました。
目を閉じて
「スーーーーーー」
「ハーーーーーー」
「スーーーーーー」
「ハーーーーーー」
の、繰り返し。
意識が研ぎ澄まされると同時に、
試験会場の部屋で、審査を受けてる人の声が耳に入ってきました。
*・*・*
目を開けると5番くんがいない。
状況を察して、心の中で大きくエールを送って
全力で聞き耳を立てました。
すると
「今日だってあなた〜を〜想いな〜がら〜歌うたいは〜歌うよ」
という声が聞こえました。
5番くん!!!!!😳😳
*・*・*
なぜ、私がこんなに歌うたいのバラッドにびっくりしたかというと
この曲が、とっても好きな曲だからです。
歌う曲は自由に選ぶことができる今回のオーディション。
実は前日までずーーーーっと、
会場でもずーーーーっと、
2曲どっちがいいのか選びきれずにいました。
友達に聞いても賛否両論。
歌の師匠に聞いても賛否両論。
家族に聞いても賛否両論。
自分的には、それぞれ捨てきれない良いところがあって困る。
そんな2つの曲のうちのひとつが
歌うたいのバラッドだったのです。
(もうひとつは、あなたのキスを数えましょう)
*・*・*
しかし、5番くんのお陰で決断ができました。
「もし私がプロデューサーの立場だったら、2つ前の順番で聞いたのと同じ曲は飽きるだろうな〜」
と、思い腹をくくりました。
*・*・*
そして、曲も決まりまだ時間があったので、
新たなウォーミングアップにうつりました。
これは最近通っていた、ミュージカルのスタジオで教えてもらった、
歯と唇の間に舌を入れて回すと、滑舌が良くなるというもの。
真顔でやると、ゴリラみたいな顔になって結構シュールなのですが
この時は大真面目に、右に10回、左に10回舌を回そう。
と、思ってはじめました。
すると、右に2回舌を回した時
「首藤綾乃さ〜ん」
と、呼ばれました。
呼ばれた瞬間の私の顔は割とゴリラで、
「ウホッ?って感じでした。🍌」
今回は、名前を呼ばれた瞬間の顔がゴリラそっくりだった!というところでおわり。
つづく◎
オーディションの話 ①
オーディション前日。
福岡に着き、
カラオケでとことん歌って、
自分の中で今のベスト!!!
っていう音源をお守り代わりにつくり
カラオケで寝ました。
*・*・*
そして1時間後くらいに起き、
お守りの音源をききながら、
温泉に行きました。
すると、知らないおばちゃんに声をかけられました。
「ちょっとお姉さん。」
私は、
「なになになに 知らん人やん 福岡こわい😂😂😂」
と、思いました。
すると
「今日、300円で入れるチケットもってるんやけど、一緒に入らん?(定価は800円くらい)」
と、言われました。
そう。
ラッキーだったのです!!!🌸
私は一気に、
「福岡の人優しい♡最高♡」
と、心変わりしました。
私は素直で純粋で単純な性格です☺️
(全力でツッコミまってる♪)
そしておばちゃんと仲良く温泉に入り、
会場に向かいました。
*・*・*
この日はもうひとつラッキーなことがありました。
会場に着いたら
なんと
ななんと
なななんと
、、、
受験番号が、、、
(察してる人もいるかもしれない。)
「7」だったのです!!!!!
今回したかったのは、この話。
*・*・*
最近、「事実はひとつ、肝心なのは捉えかた」っていう言葉にはまってます。
今回の2つの出来事は
捉えかたによっては、どうでもいいことかもしれない。
でも、オーディションに向けて
ドキドキ緊張していた私にとっては
とってもほっとする、心強い出来事でした。☺️
せっかく同じ出来事なら、少しでも自分がhappyになる捉えかたをしたいなと思う今日この頃。
happyな気持ちになって、モチベーションが最高に整ったところで、本題に移ります。
続きは次の記事へgo〜🏃♀️💨
つづく◎