あやのせかい

21歳。等身大の「今」を書き留めます。ブログの軸は、音楽と人生。

[北海道地震]函館で過ごしたリアルな1.5日

 

ー 真夜中 ー

緊急地震速報です。(サイレン音)

 

 

緊急地震速報です。(サイレン音)

 

 

緊急地震速報です。(サイレン音)

 

 

「うるさっ💢」と思った時には激しく揺れ始めていた。

 

 

真夜中、眠っている時間に震度5弱の揺れ。

 

 

満杯の本棚が左右にぐらぐら揺れ、壁に掛けていた時計が床に落ちる。

 

 

寝ぼけたまま、母親が3歳児を抱き抱え、姉妹で部屋の中心に集まり、枕で頭を守り合う。

 

 

揺れが収まり、電気のスイッチを押すと着かない。

 

 

父親がライトも持たず一階にいる両親を心配して駆け下りる。

 

 

無事を確認。

 

 

平成30年9月6日夜中3時8分頃、函館の親戚家族の家で大きな地震が起きた。

 

 

一旦収まってもまた余震。

 

 

余震かと思えばただの感覚。

 

 

そんな状況を繰り返すうちに夜が明ける。

 

 

*   *   *

 

 

- 初日の朝 -

(外)8時過ぎ、停電は治っていない。

 

 

幼稚園生、中学生、高校生、専門学生の従姉妹は全員臨時休校。

 

 

市役所勤めの父親は仕事へ。

 

 

物資確保のため、車で近所のドラッグストアに向かう。

 

 

信号のライトがついておらず、いつも以上に細心の注意を払いながら道路を走る。

 

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9時開店にも関わらず長蛇の列。

 

 

そして9時になってもお店は開かない。

 

 

店頭で、常温保存が出来る物だけ販売される。

 

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(この写真は、震災から2日目のお昼のもの。)

 

 

日が照る中、待つこと2時間。

 

 

ようやく買い物をはじめる。

 

 

食料と必需品を買い揃え、自宅に帰る。

 

 

行きつけのガソリンスタンドが営業休止中と知る。

 

 

*   *   *

 

 

(家の中)損傷部分を確認。

 

 

祖父が散歩から帰って来る。

 

 

「10時から断水になるらしいぞ」

 

 

その情報を聞いたのは9時40分。

 

 

大慌てでお風呂に水を張り、全ての使える入れ物に水を汲む。

 

 

(結局うちの地域は結局断水しなかったが、断水した地域も多くあった。)

 

 

*   *   *

 

 

- 昼 -

一件目でガスボンベが売り切れていたため、最寄りの3店舗へ。

 

 

「ガソリンの無駄遣いが勿体無い」と、自転車で向かう。

 

 

全て売り切れ。

 

 

この頃、docomosoftbankauそれぞれの携帯の電波も無くなる。

 

 

情報はラジオで得る。

 

 

昼食はカップラーメン。

 

 

*   *   *

 

 

- 夜 -

6時、家族で一つの食卓を囲む。

 

 

ガスコンロ節約のため、全員で食卓を囲み、レトルトカレーを食べる。

 

 

7時、暗くなる。

 

 

部屋の中心に懐中電灯を灯す。

 

 

電波が無い為携帯を見ることもなく、停電してる為テレビを見ることも無く、家族9人ひとつの部屋で顔を合わせて話す。

 

 

滅多に無い機会だからと、子どもたちでおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんの肩揉みをする。

 

 

*   *   *

 

- 就寝時 ー

 

 

長女が祖父母を思いやり、

 

 

「何かあったとき手助け出来るように」と、一階で床に着く。

 

 

普段反抗期の三女も、

 

 

「また夜中に地震が起きたら怖いから」と、姉達と同じ布団で寝る。

 

 

不謹慎ながら、この夜ガッツリ家族でコミニュケーションを取れたことだけは良かった。

 

 

「もう地震来ないように祈るしか無いよね」

 

 

「明日には電気回復するといいね」

 

 

など、励まし合いながら眠りに着く。

 

 

 

*   *   *

 

 

- 2日目の朝 -

未だ停電したまま。

 

 

シャワーは冷水のみ。

 

 

流石に冷蔵庫から異臭がして来る。

 

 

未だ信号もついていない。

 

 

ガソリンスタンドも復活の目処が無い。

 

 

相変わらず学校は休み。

 

 

*   *   *

 

 

- 昼 -

避難指定場所の小学校に、携帯を持って自転車で向かう。

 

 

充電が可能か聞くと、避難している方のみしか充電できないと断られる。

 

 

同時に、近くの清掃工場でコンセントを無料開放していると聞く。

 

 

清掃工場に向かう。

 

 

用意して頂いた、全ての机に人が埋まっていた。

 

 

久々に電気のある生活に触れる。

 

 

プロジェクターでニュースを見る。

 

 

震源地の被災の状況を目の当たりにする。

 

 

みんなが同時にコンセントを使う為、充電がなかなかたまらない。

 

 

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自宅に戻る。

 

 

*   *   *

 

- 午後4時 -

 

 

「パチン」

 

 

「え!」

 

 

電気が着く。

 

 

「やったー!電気ついたね、やったー!」

 

 

3歳児が踊りはじめる。

 

 

不意に停電生活が終わる。

 

 

*   *   *

 

 

- 感想 -

夜中の地震は暗いし意識も正常じゃないし、めちゃくちゃ怖かった。

 

 

1日半停電しているのに電気が無い生活には慣れず、トイレに行くとき、部屋に入るとき、癖で無意識に電気のスイッチを押してしまう。

 

 

携帯、テレビ、ガソリン、温水、冷蔵庫、洗濯機が使えず、お店や銀行も空いておらず、信号や街頭の無い生活はこんなに不便だとは、体感してみないとわからなかったし、

 

 

電波が無いときは視覚で情報を得ることもできず、遠隔の家族、友人とも連絡が取れず、心細かった。

 

 

いつ日常だった生活が戻るのかわからないことががとても不安だったので、回復して安心したと共に、

 

 

ありきたりな言葉すぎるが、当たり前に電気や電波を支えていることに、改めて感謝が芽生えた。

 

 

正直まだ余震の可能性がある事も気が気じゃない。

 

 

しかしまずは、道内のまだ復興していない地域へ、できる事をし尽くす。

 

 

*   *   *

 

 

- まとめ -

今回一番有り難かったのは、東日本大震災を経験した方の、非常時にするべきことのツイート。

 

 

この情報が地震後すぐ、電波が途絶える前に拡散されて来たお陰で、次の日の具体的行動がわかって良かった。

 

 

今までニュースで被災地を見て、

 

 

「大丈夫かな」と心配をしても、

 

 

「わたしが心配をしたところで直接的な解決には繋がらない」

 

 

と不甲斐なく思っていたが、

 

 

今回、友人がメッセージをくれたことは大変嬉しく、元気が出た。😂

 

 

精神的アプローチも充分すぎる支援だと感じた。

 

 

電波が一時途絶え回復した後は、クラウドファンディング等、遠隔にいる方の動きも目に見えて感激した。

 

 

*   *   *

 

 

いつ、どこで、何が起きるか予測できない、

 

 

誰が当事者になるかわからない、

 

 

異常なほど災害続きな平成30年の日本。

 

 

自分の経験が、この記事に触れた方の人生の中の、いつかどこかで役立てばいいなと思い、新鮮なうちに文字に収める。

 

 

この記事が必要な人に、必要なだけ届きますように。

 

 

そして全ての被災された方が、一日も早く不自由の無い生活に戻れますように。